公爵に告ぐ
しかし、この人のデフォルトは確かに爵位伴う様なノーブルさで着色されている部分が大きいと思わせられる場面も少なくはないが、ワサビが嫌だからと言って寿司のネタとシャリの間から自分専用の箸を用いて緑のそれを真剣に剥ぎ取っているその姿はただの阿呆にしか見えない。高貴の欠片も見受けられない。つまりは徹底的に理解不能。
アウトルックは極めて美しく、すらりと高い背につながった長い四肢、ほどよく筋肉のついた体躯。凛として目尻まで余す所なく清水を塗ったような目にすっと通った鼻筋、艶のある低い声と、立っているだけで一つの異空間をつくりあげて周囲の人々を引きずり込んでしまうような風貌。
外面と第一印象とは、それらを大いに引き継いでが故か快いものであり、どこか纏うその不可思議な空気も引き立ち役に回らざるを得ない調子となってしまう。自ら公爵などというどこか香しい気品を名乗るぐらいだからも彼自身のそれも余すところ無くおしめもなく散りばめられていても特に女性など、その衆多で豊かな知識と好きのない気配りやセンスに翻弄されてメロメロになってしまうのがしょっちゅうだった、彼と知り合ってから幾多そういう女性を目の当たりにしてきたか分からない。ナルキッソスの申し子とでも言うか、しかし彼が水辺の美少年と決定的に違う所はも自分に酔いしれることはあっても常に現在の自分を完全と言うほどまでに理解し噛み砕きその力量をコントロールしている所である。我が姿に恋をしその衰弱によって死ぬなどという頼りない儚さなど微塵も持っていない。
僕の場合、紳士的なその外面の他の、彼の阿呆さから何からちょこちょこと結構知っているから余計にそう思うわけだ、こいつは水仙の花に転生などしない。強いて言うならばその身から出る甘い香りに誘われて寄ってきた生物をその胃に収める食肉花。美しい薔薇には棘だか毒だかがあると言うけれど、まさしくその眷属、いやもはや凌駕。花を求めて何ぞやを知る、それこそ彼の真髄。(まあ転生云々の前に、公爵が死ぬのかどうかは判断しがたい所ではあるが)そういう存在であり、仕事人。
僕が初めて彼に会い、初めて彼の仕事という名目の活動を見たとき、(彼はその活動に一切の報酬を要求しない為、僕は仕事と呼ぶことにいささか抵抗がある。しかし彼の持論では、仕事とは自分が果たすべき行動のことであり、自分のその力は常に事故規約のもとこうあるべきなのだから仕事呼んでいいのだ、ということだ)僕はまだ小学校の四年生で、右も左も倣ったら同じだと思っていた年頃の春だ。
桜は殆ど散ってしまっていた、その年は早咲きだったのだ。花弁がくるくると回って落ちた先は、僕の見つめるひとつの死体の上だったことも。
「…、死んだ」
独り言だった。遠くで聞こえるのは、これを見て走っていってしまった弟の泣き叫ぶ声。
数ヶ月前から僕の家で飼っていた小鳥だった。生まれつき左の翼がなく、飛ぶことは叶わなかった蒲公英色の毛並みの小鳥。弟は酷くその鳥を大切にしていたが故、あのはち切れんばかりの嘆きを持っている。というかぶちまけている。
僕は弟の泣く声も顔も好きではなかった。どちらかというと弟の笑った顔が好きで、だからこそ願ったのは鳥の蘇生で、幼すぎてた僕でもそれは叶わないことだと分かっていたのにそれをひっくり返してやろうというヤツが目の前に現れた。台風よりも唐突に。
「死んだら生き返らないと、本当に思っているなら、随分と子どもらしくない子どもだ」
そうだ、最初の言葉は皮肉だった。
子どもなら心のどこかで生き返ってほしいということを信じていればいいのにという意味だったのか。でも、帰って来ないと分かっているから泣きわめくのだろうに。そう思ってぐらぐらと揺らぐ心臓を握りしめるようにして言葉を返した。
「子どものうちは夢をみておいた方がいいんだなんて、おじさんも言うのか」
「まさか。それに僕はおじさんじゃない」
黒いニット帽に隠れた金色の髪、深い藍色のピアス、すらりとした体躯に女の人が喜びそうな精悍な顔つき。格好良いというカテゴリに属すには十分すぎる容姿だったし、声も見た目もいいとこ二十代だ。おじさんという年齢じゃない。それは僕にも分かっていた。分かっていたけど、わざと言った。
「いい年したって夢を見ている大人はたくさんいるよ。現実からの逃避に夢を使う無粋な大人もたくさんいる。君たちは、そういう大人たちの下で面倒に生きていかなければならない、厄介な役目を背負った存在だ」
肩をすくめ、テレビの中の人がやるようにやれやれ、という仕草をしてみせる。いかにもという雰囲気を出していたけれど、春先のそんなヤツに構っているほど僕は馬鹿じゃない。桜に酔わされてこの時期は変な輩が多いんだとばーさんに言われていた、理解していた。放っておいていこうと思った。塀の向こうは僕の家だ、何か妙なことをすれば即座に叫んでやる。ばーちゃんが箒を振り回してやってくるに違いない。怖いんだあの人は。伸されてしまうといい。
そんなことを思っていたら、前触れもなく、ずいとそいつが踏み出してきて思わずびくりと一歩後退。
「鳥を連れておいで」
「……は?」
「最初はお試し期間だ、一週間生き返らせてあげる」
蒲公英色の小鳥は一週間生き返り、弟は大喜びし、ばーさんは眉間に皺を寄せたまま赤飯を炊いた。一週間後にもう一度死んだ小鳥を、最初に見つけたのはまた僕で、弟にバレないうちにヤツを呼んだ。
「伸弥」
「僕の名前は秘密だけどね、しんちゃん、公爵と呼んでくれると凄く嬉しい」
最初の時のどこかちゃらちゃらとした格好じゃなく、耳のピアス穴は塞がっていて、金色の髪の色は何よりも黒くなっていた。だけど僕には、そいつがあのときのあいつ、"公爵"なんだと分かった。
「あげるよ、オレの**、公爵にあげる」
「分かった」
「だからこいつ生き返らせてくれ」
「…お代ぴったり、頂きました」
レシートは貰えなかったけれど、その鳥は今も生きている。弟より長く。


